『夏目アラタの結婚』という漫画が面白すぎたので、ネタバレに配慮しつつ、感想やその魅力について書いていきたい。

密室推理劇的おもしろさ

映画で、密室推理劇と呼ばれるジャンルがある。

どんなジャンルかというと、
映画のはじめから終わりまで、ずーっと、一つの部屋の中で物語が進行していき、登場人物たちの会話を通して、少しづつ事実が明らかになっていくというもの。

これだけ聞くと知らない人は、「えー、つまんなそう…」と思われるかもしれないが、面白いのだこれが。

話がそれたので戻す。

『夏目アラタの結婚』という漫画は、主人公と、主人公の結婚相手である死刑囚との会話を中心として物語が進行していく。

主人公の名前は、夏目アラタ。そして、結婚相手の死刑囚の名前は、品川真珠という。

当然、相手は死刑囚なので、拘置所に収容されており、限られた面会時間の中、係の者の監視のもと、お互いを隔てるガラス越しでの会話となる。

そんな二人の会話や駆け引きを通じて、少しずつ新事実が明らかになっていくという様が、まさしく密室推理劇のそれで、とても面白く感じた。

それでいて、相手は頭のキレる連続殺人鬼で腹のそこは見えないし、こちらがヘマをすれば、何をしでかすかわからないというスリルも加わり、なかなか上質なサスペンスにもなっている。

法律の穴をついたリーガルものとしても楽しめる

本作は、前半は先程書いたとおり密室推理劇的なワクワクが楽しめるのだが、
それだけではなく、物語の全体を通して見ると、法律の穴をついたリーガルものとしても良くできていると思った。

かつて松本清張と同時代に活躍した推理作家、高木彬光(たかぎ あきみつ)は、作品を描くにあたって、刑法・刑事訴訟法にも通じていたと聞くが、
法律の穴をつくには、当然、法律を熟知している必要がある。

その点、本作に登場する殺人鬼、品川ピエロは、持ち前の頭のキレと演技力、そして法律知識を駆使して、法廷で、検事や裁判官までをも見事に手玉に取って見せる。

法廷もののミステリーやサスペンスとしても充分楽しめる内容となっている。

人間のひた隠しにしている本音の部分をうまく描いていてすごい

本音と建前という言葉があるように、
人はたぶん、理性という名の「仮面」のもとで表向きは普通を装いながらも、そんな自分の心の中に時おりを頭をもたげる狂気に見てみぬ素振りをしてフタをして生きているようなところがあると思う。

本作には、「仮面」という言葉が繰り返し登場する。

以下にいくつか引用してみる。

"ボクがあいつと会ってたのはね、 あの仮面の下の本音が知りたかったから。"

引用:乃木坂太郎『夏目アラタの結婚』(小学館) 10巻

"優しい仮面をつけてる人はいっぱいいるけど、外してくれたのは"

引用:乃木坂太郎『夏目アラタの結婚』(小学館) 11巻

"仮面は、つけたままだ。"

引用:乃木坂太郎『夏目アラタの結婚』(小学館) 11巻

"そういう時、君のように私も仮面をかぶるんだ。"

引用:乃木坂太郎『夏目アラタの結婚』(小学館) 12巻

10〜12巻にかけて、今、引用した部分だけでも、4回も「仮面」という言葉が登場している。もっとあるかもしれない。

そして、極めつけは、殺人鬼の品川ピエロが犯行時に扮していたピエロの格好。

これも何かを隠すための「仮面」であるといえる。

さらに仮面は、素顔を隠す以外にも「何かを隠すもの」という意味において、「嘘」や「建前」という意味にも拡張できる。

そして、本作では、品川真珠を中心として、登場人物たちが「嘘」や「建前」という名の仮面の下に、ひた隠しにしながら生きている「本音」の部分がたびたび登場する。

嘘、隠しごと、人に言ったらドン引きされそうで怖くて言えない「本音」…etc.

雑踏の中、街を行き交う見知らぬ人々は、一体どんな仮面をつけて生きているのだろう。あるいは、あなたの身の回りの人はどうだろう。

人の仮面の奥に隠された本心を知るのは怖いという恐怖がある一方で、知りたいという強烈な好奇心があることも確かだ。

もしかしたら私たちが漫画、小説、映画などの物語を求めるのは、人間の仮面の奥に隠されたその「本心」を知りたいという強烈な欲求を満たすためになのかもしれないと、そんなことを思った。

おわりに

そういえば『夏目アラタの結婚』の連載がまだ始まったばかりの頃、本作を読んだ漫画好きの知り合いが「すごい漫画の連載がはじまった もうすでに映画化やドラマ化のオファーがきてるんじゃないかな」と鼻息荒く語っていたのを思い出した。
今にして思えば彼の見立ては正しかった。

すくなくとも「まだ読んでねぇのか あの傑作を」とドヤれるレベルの面白さであることは間違いない。

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