21世紀。科学の発達により、人々の生活は豊かになったかに見える。
しかし、いくら生活が便利になろうとも、たぶん決して埋めることのできない、人間の「心のすきま」が存在する。
その「すきま」によって誕生したのが、「ギバーおぢ」と「頂き女子」であったと筆者は考えている。
よく知らない人のために、「ギバーおぢ」と「頂き女子」とは何かについて簡単に説明しておこう。
「ギバーおぢ」とは何かを理解するためには、まず「頂き女子」について知っておく必要がある。
頂き女子とは
「頂き女子」とは、ひとことで言うならその名前の通り「おじさまからお金を頂く女子」のことである。この「頂き女子」の活動のことは「おぢ活」とも呼ばれる。
ここでいう、おぢとは、40〜60代くらいのいわゆる、おじさまのことを指している。
しかし、この「頂き女子」がよく知られる「パパ活」と違う特殊な点は、それはお金を頂く女子とおじさまとの間に明確な「信頼関係」できていることにある。
どういうことか詳しく説明しよう。
パパ活との違い
「パパ活」の場合、パパと女の子との間で、事前に話し合いが行われることが一般的だそうだ。
つまり、デート代にいくら、食事にいくら、月々にいくら支払うといった具合にである。
つまり「パパ活」の場合、そこにあるのは、ざっくり言って、お金をいただく代わりにサービスを提供するといった、いわゆるビジネスライクな関係性であると言えよう。
一方、「頂き女子」の場合もお金をいただくという点ではパパ活と同じなのだが、異なるのはお互いの関係性で、頂き女子の場合、こういったビジネスライクな関係性ではなく、
そこではお互いの信頼関係を前提としている点にある。
つまり、お金を支払ってくれる「おじさま」の側が自発的に「この子のためならお金を出してあげたい」と思うように、女の子側はおじさまとの信頼関係をつくっていく。
「頂き女子」は、おじさまから「この子をなんとしても助けてあげたい」「この子のためなら大金をも惜しまない」そう思われることに全力を尽くす。
その様は献身的であり、ある意味自己犠牲的ですらある。最終的な目的が、お金であることを抜きにしてみれば、ともすれば、そこにあるのは本当の恋愛と見分けがつかないかもしれない。
それくらい彼女たちは、おじさまとの信頼関係の構築に全力を注ぐ。
なぜなら、「頂き女子」たちにとって、その「信頼関係」こそが、お金を頂くことができる源泉にほかならないのだから。
「ギバーおぢ」とは
さきほど「頂き女子は、お金を支払ってくれる、おじさまとの信頼関係の構築に全力を尽くす」と書いた。
ここで「頂き女子」にとって重要となってくるのが、誰と「信頼関係」を構築するかという点にある。
この誰と?に対する答えとして、「頂き女子」のターゲットとなるのが、「ギバーおぢ」の存在である。
「ギバーおぢ」とはひとことで言うなら、
頂き女子にとって「無条件にお金を出してくれる太客」のことである。
その特徴は、以下のようなものだ。
・独り身が多い
・全部自己責任の考え
・普通のサラリーマンが多い
・仕事にやりがいを感じてなくて、ただなんとなく生活のために出社している
・毎日仕事行って帰って寝るだけを繰り返している
・夢や希望がない
・お金の使い道がない
・自分にあまりお金をかける癖がない
・寂しいと感じている
・癒しを欲しがっている
・自分の話を聞いくれるような人が周りにあまりいない
・清潔感は一応ある
・ネット世界に興味無い(TwitterとかFacebookとか)
・モテたことがない
・恋愛経験が少ない
・熱中する趣味はない
・女の子への理想が低い
・気遣いをしてくれる
・こちら目線でいつも考えてくれる(待ち合わせ場所はそっちに合わせるよ👴🏻など)
・無駄な誘いをしてこない
・一人でいることが多い
・一人暮らしの人が多い(実家暮らしでも頂いたことある)
・寂しいからLINE即レスで返してくる
読んでドキッとした人もいたのではないだろうか。
この特徴は、「頂き女子」の提唱者であるりりちゃんのnote(現在は非公開)から引用させていただいた。
これら特徴からわかることは、「ギバーおぢ」と呼ばれる彼らは、モテない、もしくは非常に奥手であり、おとなしいといった特性を持っているということだ。
それに加えて、「キバーおぢ」たちの多くは、社会に対して従順であり、素直な良い人達なのではないかとも思う。
ここからは筆者の勝手なイメージに基づく推測だが、
おそらく彼らは社会に対して従順であるがゆえに、これまでの人生で「自分」というものに向き合ってこなかったのではないかと思う。
「いったい自分は本当は何をやりたいのか」。過去にこういった問いが頭をよぎったことは、一度や二度はあったかもしれない。
しかし、彼らは素直で社会に対して従順であるがゆえに、その問いを脇へ押しやり、心の奥底に封印して生きてきた。
自分を押し殺して、あくまで周りの期待や意向を優先させた。余計な衝突はできれば避けたい──。
先程の特徴の中に
・夢や希望がない
・気遣いをしてくれる
という一見矛盾したようにも見える一節があることが、それらを裏付けているようにも思える。
しかし、そんな生き方を続けていた彼らの心の中には、いつしか、ぽっかりと「心のすきま」が生じてしまっていた。
そして、いつしか彼らはこう思うようになる。
「自分は特別な存在でありたい」
「誰かから必要とされたい」
その生じた「心のすきま」に対してジグソーパズルのピースのようにピタリと符合するもの。その存在こそが、まさに「頂き女子」に他ならなかったではないかと私は思う。
おわりに
「頂き女子」のその詳しい信頼関係の構築方法については、ここではあえて割愛させていただいた。知りたい方はネットで情報を漁るなりすると色々と出てくるのでそちらを参照していただきたい。
「ギバーおぢ」と「頂き女子」の問題は、私は他人事ではないと思った。
「ギバーおぢ」と「頂き女子」のその背景にはおそらく人間の「心のすきま」の存在があると考えられるからだ。
人間は往々にして、何らかの「心のすきま」を抱えているものだ。
そして、その隙間を都合よく埋めてくれる存在に、ある時、ふとしたきっかけで出会うことで、その存在に大きく依存してしまうといったことは誰しも起こりうる。
今回の例でいえば、それがたまたま「ギバーおぢ」と「頂き女子」であったにすぎないと思う。
そういえば最近読んだ『タワマンで不幸にならない方法』という漫画がある。
人間の心のきたない部分をポップに描いていて面白かった漫画だ。
いわゆるタワーマンションの高層に暮らす金持ち男性と結婚したいという主人公が、その欲求ゆえにひどい目に合うというのが、冒頭のあらすじなのだけど、
これも、「タワマンに住みたい」という「心のすきま」と、それによって引き起こされた「悲劇」を描いているといえると思う。
今あげたのはあくまで漫画というフィクションではあるけれど、
このような「心のすきま」の例は、現実世界でもいたる所に存在する。
自分の「心のすきま」にはいったい何があるだろう。これを機に、一度自分と向き合って考えてみるのも良いかもしれない。