「弱男」の意味

弱男は主に以下の意味で使われている。

「コミュ障、童貞、低学歴、彼女いない歴=年齢、低年収、職歴なし、無職」などに当てはまる社会的弱者の男性のこと。あるいは、単に、いまいち冴えない非モテ男性。

意味を見てわかる通り、あまりいい意味では使われない。

読み方

読み方はいくつかある。
よわお、じゃくお、じゃくだん、よわおとこ、など。

個人的には「よわおとこ」を推す。予測変換で一発で出るので。

使われる場所

主にSNSやインターネット掲示板でよく使われている。

「弱男」みたいな言葉が生まれた理由を考察

これまで「弱男」という言葉について見てきたわけだけど、弱男に限らず、
最近、生きづらさ系の言葉を目にすることが増えたように思う。 

筆者自身が生きづらさを感じている側の人間なので、よく目に止まるだけかもしれないけど。

ここで言う生きづらさ系の言葉とは、弱男、陰キャ、無キャなどの言葉のことだ。

例に上げた言葉はどれも侮蔑的なニュアンスで使われることが多いけれど、共通しているのが、社会の中で生きづらさを抱えている人達を表す言葉でもあるということだ。

こういった生きづらさ系の言葉が目立つようになった背景には、インターネットの登場が大きく影響していると思う。

TwitterなどのSNSを使うことで、無名の一般人であっても日々の感じていることを気軽に不特定多数へ向けて発信できるようになった。

そうすると、日々の生活でつらい思いをしている人達のなかには、その生きづらさをSNSを通じて発信する人が出てくる。

そういった日々感じているモヤモヤを的確に言葉にした呟きというのは、たとえ何気ないものであっても多くの人の共感を呼よんで一気に拡散される、いわゆるバズることがよくある。

そうすると、当然そういった呟きを見た人の中には、共感するのではなく、見下したり、からかったりする人も出てくる。

すると、見下したり、からかったりからかったりするためには何かそれを表現する言葉があった方が便利ということになる。

その見下したり、からかったりするという過程の中で、弱男、陰キャ、無キャ、チー牛などの言葉が生まれたのではないだろうかと考える。

インターネットの登場で生きづらさは緩和されたのか

インターネットの登場によって、個人であっても日々の生きづらさや鬱屈とした感情を手軽に不特定多数へ向けて発信できるようになった。

そうした流れの中で、弱男のような言葉が生まれたのではないかという話をこれまで見てきた。

それでは、インターネットが普及する以前の時代はどうだったのだろうか。
インターネットが今ほど一般的ではなく、まだSNSやブログも存在しなかった時代、具体的には1970年代~80年代くらいの時代のことだ。

これから見ていくことにしよう。

今みたいにスマホやインターネットが普及する前の時代。
メディアといえばまだテレビや新聞が中心だった。

個人が情報を発信する手段といえば、雑誌や新聞の読者投稿欄やラジオのおたよりコーナーなどは存在したものの、今のSNSのような手軽さはなかった。

それが、2000年代初頭から、ここ20数年の間に見られるインターネットの台頭により、一変した。

2ちゃんねるに代表されるインターネット掲示板の盛り上がり、そして現在、TwitterなどのSNSの時代へ。

より個人が手軽に情報を発信できるようになった。

なかでもTwitterの登場は大きかったと思う。

Twitterのリツイート機能によって、無名の個人のつぶやきであっても、一気に拡散されて多くの人に読まれる可能性が出てきた。

実際に、何気ないつぶやきが、大きな共感を呼び、1万リツイート越えなんてのも珍しくない。

そういったツイートを読むことで、共感したり、生きづらさを感じていたのは自分ひとりじゃなかったんだとわかって、少し気持ちが前向きになれることもある。

インターネットの登場によって、それまでは、日々の生活に生きづらさを感じていたとしてもそれを一人で抱え込んで生きていくしかなかったかもしれないことでも、SNSを使うことで名も無い個人であっても気楽に発信できるようになった。

SNSによっては、本名を明かさずとも匿名での発信ができることから、面と向かっては言いにくいような自分の本音を語りやすい側面がある。

そして、ただ発信して終わりではなく、インターネットでは、自分と同じような生きづらさを抱えた人達とコミュニケーションを図ることだってできる。

とはいっても、コミュニケーションを図るには、SNS上であってもコミュ力が必要でこれコミュ障には不利じゃね?と思うこともあるけれども…。

とはいえ現実は

インターネットのおかげで、生きづらさを抱えているのは自分ひとりじゃないと知れたとしても、悲しいかな教室の隅で本を読んでいる現実が変わるわけでもなかったりする。

すくなくとも筆者の場合はそうだった。

コミュ障はつらいし、ぼっちはいやだ。

それでも、なんとか頑張って生きていくしかない。

かといって無理しすぎてメンタルを病んでしまったら大変だし、心に余裕がなくなるとつらい。

なので無理しすぎないで自分を大切にしつつ、いざとなったら「逃げる」という選択肢を頭の片隅に起きながら、なんとか生きていきたいと思う。

おすすめの記事