論理的の意味とはなにか?

こう問われて瞬時に明確な説明ができる人はそう多くはないはずだ。

書店のビジネス書コーナーには、論理的思考力を身につけるには?といったタイトルの本が並んでいるし、数学の参考書の前書きなどでは、数学は論理的思考力を養うことができるといったことが書かれている。

そこで、こう思ったことはないだろうか。
「論理的、論理的って言うけど、論理的に考えるって具体例にどういうこと?そもそも論理的って…?」

筆者もそう思った一人だ。

本記事では、論理的の意味、そして論理的に考えるとはどういうことなのかを明らかにしていこう。

論理的について考える前に

まず、論理的について語る前に、「論理的ではない」とはどういうことかを考えてみたい。

目の前に3つのケーキがある場面を想像してほしい。ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブランの3つだ。
それぞれ、ショートケーキをA、チョコレートケーキをB、モンブランをCとおく。

あなたはこの中から1つを選べと言われる。さて、どうやって選ぶか。

選び方は色々あるが、ここでは2つの選び方を考えよう。

1つ目は、サイコロを振って、出た数字によってランダムに選ぶ方法だ。

ここでは、{1、2}が出たらショートケーキ。
{3、4}が出たらチョコレートケーキ、{5、6}が出たらモンブランを選ぶとする。

ケーキはサイコロの目によってランダムに選ばれるので、いかさまでもしない限り、そこに人間の意思は関わってこない。

このサイコロを使った選び方は、論理的といえるか?と問われたら、おそらく多くの人は首をかしげるだろう。

一方、2つめの方法を考えてみよう。
こんな選び方の場合はどうだろうか。

3つの中からケーキを選べと言われた、ある人はこのように考え、ケーキを選んだ。

「私は、モンブランを選ぶ。
なぜなら、この3つのケーキの中で、おそらく、一番値段が高いのはモンブランだろう。
値段が高いということは、手に入りにくい材料を使っているか、質のいい材料が使われていると考えられる。
したがって、私はモンブランを選ぶ。」

1つめのサイコロを使う方法と比べてどうだろう。こちらの方が論理的といえるのではないだろうか。

以上のことから、論理的とは、以下の意味があると考えられる。

「前提から、結論を導き出すこと。」

念の為、日本国語大辞典を引いてみよう。

「論理的」の意味は以下のように書かれている。

前提された事件や事情から正しく推論するさま。

引用:精選版 日本国語大辞典

「前提から正しく推論するさま」とある。
ここでいう「正しく推論する」とはなにか。

この「推論」という言葉は、論理的の意味を理解する上で重要なキーワードであるため、これから詳しく見ていきたい。

辞書横断検索サービスであるコトバンクで「推論」を引いてみると以下のように書かれている。

→推理

引用:推論(すいろん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

つまり、推論=推理と考えて問題なさそうだ。

では、推理はどのように説明されているかも見てみよう。推理を引いてみると、以下のように書かれている。

論理学の概念で,1個または2個以上の判断(前提)から新しい判断(結論)を導き出すこと。推論ともいい,演繹と帰納が代表例。

引用:推理(すいり)とは? 意味や使い方 - コトバンク

ここでも推理は「推論ともいい,」とあるため、推理=推論と考えて間違いないだろう。

そして、重要なのは、「推論ともいい,」の前に書かれている説明だ。

"1個または2個以上の前提から新しい結論を導き出すこと。"

これを先程の、日本国語大辞典の「論理的」の説明に当てはめてみよう。

日本国語大辞典には「論理的」の説明として「前提から正しく推論するさま」とあった。

そして、「推論」の意味は「1個または2個以上の前提から新しい結論を導き出すこと」だった。

結論 : 論理的の意味、論理的に考えるとは?

前置きが長くなったがここでやっと結論に入ることができる。ここまでの話をふまえると、

論理的とは「1個または2個以上の前提から新しい結論を導き出し、かつ、それが正しく行われていること」という意味になる。

そして、「1個または2個以上の前提から新しい結論を導き出し、かつ、それが正しく行われていること」を使って考えることが論理的に考えるということになる。

ここで、「正しく行われている」というのが、どういうことか、いまいちピンとこない人もいると思うので、例をあげてみよう。

こんな場合はどうだろうか。

明日の天気予報は晴れだった。(前提)
よって、明日は「雨」が降るだろう。(結論)

これを聞いて、納得できる人はおそらくいないだろう。

なぜなら、天気予報が晴れなのに「雨」と言っているからだ。
上の考えがおかしいと感じるの理由をもう少し詳しく見てみよう。

現在の天気予報の精度は高く、天気予報で明日は晴れとなっていれば、ほとんどの場合、晴れになる。

そのため、この「明日の天気予報は晴れだった。」という前提から、「明日は雨が降る。」という結論を導き出すことはおかしいということになる。

つまり、この例では、前提と結論の間に関連性が乏しく、この推論は「正しく行われていない」といえる。

では、今あげた天気予報の例を正しく書き換えるにはどうすればよいか。簡単である。
以下のようにすればよい。

明日の天気予報は晴れだった。(前提)
よって、明日は晴れるだろう。(結論)

今度は、納得できるはずだ。

このように、前提から結論を導き出したは良いが、その前提と導かれる結論がちぐはぐだった場合は「論理的」とはいえないことがわかる。

「論理的に考える」と「予測」は違う?

ここまで読んで、もしかしたらこう思った人がいるかもしれない。

論理的に考えるの意味はわかったけど、それって「予測」のことじゃないの?と。

結論からいうと、「論理的に考える」ことと「予測する」ことは違う。

予測は「予想」と言い換えることができて、「予想がはずれる」「予想が当たる」というように、当たったか外れたかが重要になってくる。つまり、予測がはずれれば、その予測は間違ったものだったということがすぐにわかる。

一方、「論理的に考える」の場合はどうだろうか。

先程の天気予報の例をもう一度見てみよう。

明日の天気予報は晴れだった。(前提)
よって、明日は晴れるだろう。(結論)

この例では、前提とそれから導かれる結論がちぐはぐではないし、論理的には正しいといえる。

しかし、「明日は晴れるだろう」という結論が必ずしも正しいとは限らない。天気予報はあくまで「予報」であり、もちろんはずれることもある。もしかしたら、確率は低いけど雨になるかもしれない。

仮に「明日は晴れ」という予報がはずれて、雨が降ったとしよう。

この時「明日の天気予報は晴れだった。よって、明日は晴れるだろう。」と考えた人を、雨が降ったんだから、この考えは「おかしい!論理的だとはいえない!」と、とがめる人はおそらくいないはずだ。

つまり、「論理的に考える」といった場合には、「前提から結論を導き出し、それが正しく行われている」という"形式面"に着目しているのであって、その結論が実際に起こったのかどうか、正しかったのかどうかはあまり問題なっていないということがわかる。

ここまでの話をまとめてみよう。

論理的に考える→「形式面に着目。結論の正しさは問題にしない」

予測→「予測した結論が、正しいのか間違っているのかが重要になる」

やや、ざっくりとだが、上記のようになる。

いまいちよくわからなくても「論理的に考える」と「予測」は違うということがわかれば、とりあえずは大丈夫だ。

おすすめの記事