Youtubeなどで「カップル系」と呼ばれるジャンルが存在する。
恋人同士、もしくは新婚のカップルたちが、そのイチャラブっぷりを配信するというものであるが、
私は正直なところ、あんなものを見て何が楽しいのか?と疑問だった。
私などは、カップル系の配信を見ようものなら、嫉妬で直視ができなくなり、見るのは数秒が限界なのに、
世の中にはそれを楽しいと思える変わった人々もいるものだ、と。
だが、ある日ふと、こう思いたった。
カップル系の配信を楽しんで見ている人々は、その配信者自身を見て楽しんでいるのではない。
実は、その配信者に「過去の自分」を投影して楽しんでいるのではないかと。
どういうことか。
具体的なイメージをあげて考えてみよう。
カップル系の配信者の視聴者にはどんな人達が考えられるか?
例えば、その一つに以下のような人物像を思い浮かべることができる。
「すでに結婚して、ある程度年数の経った、年配の人々」という人物像だ。
なぜこのような人物像なのか?というと、以下の理由によるものだ。
つまり、まだ若く、一般にいわれる「恋愛」 1が可能な年齢なら、そのような配信を見なくとも、自分が恋愛をすればよいのだし2、また、恋愛をしたいと思うだろう。
だが、ある程度歳を重ねてくると、より直接的な言い方をするなら、おじさん、おばさんになってくると、なかなかそれも叶わなくなってくる。
だから、カップル系配信者の微笑ましい?イチャラブを見ながら、そこにすでに自分では叶わない、過去の幸せな恋人との記憶を投影して楽しむのではないか、と。
もちろん、視聴者層には、別の場合だって考えられる。
こんな場合はどうだろう。
中学時代や高校時代に恋人がいたことがあるが、卒業後しばらくして別れてしまったか、あるいはもっと短い期間で別れてしまった。そして、それ以来、ひょんな事から恋人がいたことがないといった人々である。この場合は、先程の例と違って、ある程度若い年齢の人々だ。
そんな人いるの?と思われるかもしれないが、こういったパターンは案外珍しくないのではと思っている。
なんでこういったこと、つまり、中学や高校時代に恋人がいたことがあるのに、その後、恋人ができないのか。
その現象を説明するために、正直なところ、私はその実在さえも疑っているのだが、しばしば「モテ期」という言葉が用いられる。
モテ期とは、「人生のうちで、異様にモテるようになる時期」のことらしく、なんでも「モテ期は人生で3回ある」(絶対に嘘だ!)なんて言われたりもする。
つまり、上記のような人々は、中学、もしくは高校時代が、その「モテ期」にあたり、今はその「モテ期」が終わって、次の「モテ期」が来ていないから、恋人がいないというのである。
何もしていないのに、突然モテるようになるなんて都合がよすぎないかと思わないこともないが、便利な言葉であるのは確かだ。
と、ここいらで、ここまでの話を一旦整理したあとに、ここまでの話をふまえた上で、さらにもう一歩踏み込んで考えてみたいと思う。
ここまでで、まず「カップル系配信はなぜ人気があるのか?」という問いに対し、それは、人々がその配信を通して、過去の幸せな自分を投影しているのではないか。ということを書いた。
そして、そのような視聴者の具体例として考えられる以下の2パターンを述べた。
1.すでに現在結婚しており、結婚してから、ある程度年数の経った、年配の人々。
2.中学、もしくは高校時代に恋人がいた経験があるが、それ以来ひょんなことから恋人がいたことがないという人々。
以上をふまえた上で、新たに次のような問いを打ち立ててみたい。
それは、
「筆者も含めた、カップル系配信を楽しめないという人々はなぜ楽しめないのか?」
というものだ。
もしかしたら、ここまでの話にちゃんとついてきてくれた読者の中には、ピンときた人もいるかもしれない。
核心にせまるために、もう一度、繰り返しになるが先程の内容を復習してみよう。
カップル系配信者の視聴者層には、以下のようなパターンが考えられると述べた。
1.すでに現在結婚しており、結婚してから、ある程度年数の経った、年配の人々。
2.中学、もしくは高校時代に恋人がいた経験があるが、それ以来ひょんなことから恋人がいたことがないという人々。
1と2の共通項を考えてみると、それはともに「過去」の地点にカップル同士の幸せな記憶を内包しているということだ。
より具体的には、1の例で言えば新婚時代のラブラブだった頃の記憶、2の例でいえば、夏祭りで彼女が着てきた浴衣姿の記憶、もしくは恋人と一緒に見た花火の記憶だったりするかもしれない。
そういった過去の地点の「幸せな記憶」を、カップル系の配信を見ることで、そこに投影していると考えられるわけだ。
ここから、いよいよ、
「筆者も含めた、カップル系配信を楽しめないという人々はなぜ楽しめないのか?」
という問いの核心に迫りたいと思う。
カップル系配信の視聴者達が、自分の過去のカップルにまつわる幸せな記憶をそこに投影しているのだとしたら、
筆者も含めた、それを楽しめないという人たちは、恋人との幸せな記憶がない、恋人がいたことがない人たちということになるのだ。
うあああああああ。聞こえるよ、慟哭の叫びが。
自分で書いといてあれだが、知りたくもなかったよ。こんな真実。イヤだ。
私が、カップル系の配信を素直に楽しめないということ、それ自体が、自分がそちら側の人間ではないということを何よりも明白に物語っているのだ。