小説、漫画、アニメ、映画、ドラマetc.

世の中には、たくさんの物語があふれている。

だけど、ふと、こんな風に思ったことはないだろうか─。

なぜ、人々はこんなにも物語を求めるのだろうか?と。

なぜだろう。

例えば、漫画『ONE PIECE』は、2022年の時点で既に、日本国内だけで4億1000万部も売れているという。

日本の総人口が約1億人であることを考えると、これは驚くべき数字だ。

現在、筆者がこの文章を書いているのは、2024年。4億1000万部突破から既に2年が経過している。『ONE PIECE』はさらに発行部数を伸ばしていることだろう。

例として、漫画『ONE PIECE』をあげたけれど、別に売れている物語は『ONE PIECE』だけに限らない。

アニメやドラマは毎シーズンごとに入れ代わり立ち代わり放送されるし、その全部を消費しようとすると、とても時間が足りないほどだ。

と、このように考えていくと、どうやら、「人々が物語を求めている」のは間違いないようだ。

前置きが長くなった。
ここで、もう一度、最初の問いに戻ろう。

なぜ、人々はこんなにも物語を求めるのだろうか?

私は、こう考える。

人々が物語を求める理由。それは、

欲求・願望を満たすためではないか。

と。

人によっては、拍子抜けしたかもしれない。

うーん。なんか平凡じゃね?と。

だけど、この「人々は欲求や願望を満たすために物語を求める」という視点で、物事ながめて見ると、わりかし色々な現象に説明がつく。

具体例として、以下の現象を考えてみたい。

それは、なぜ中学生、高校生になると『コロコロコミック』を読まなくなっていくのか?

というものだ。

まず、読者の方のなかには、コロコロコミックを知らないという人もいるかもしれないので、念の為補足を書いておく。

「なぜコロコロコミックを読まなくなるのか?」という問いは、言い換えると「なぜ年齢にともなって読む漫画雑誌が異なってくるのか?」という問いにも変換できる。

コロコロコミックを読んだことがなくても、年齢にともなって読む漫画雑誌の種類が変わっていくという経験をした人は多いはずだ。

小学生向けの漫画雑誌から、中高生向け、大人向けといったように。

え?なに?単行本派で漫画雑誌は読まない?

そういう人は、自分が読む物語の主人公を思い浮かべて見てほしい。小学生向けの漫画の主人公は、たいてい小学生だし、他の登場人物も同じように小学生で構成されているはずだ。

年齢が上がって、中高生向けになると、同じように物語の登場人物の年齢も中高生となることが多い。もちろん例外もあるけれど。

このような年齢にともなって読む漫画の対象年齢が上がっていく現象はなぜ起こるのだろうか?

コロコロコミックは、小学生の男子向けの漫画雑誌だけど、

なぜ読まなくなっていくのか?というのは普通に考えて、小学生じゃなくなるからじゃないの?と思われるかもしれない。

つまり、言い換えると、自分がその漫画雑誌の対象読者じゃなくなったからというわけだ。

これは確かにそのとおりだと思う。だけど、ここではもう少し深ぼりして考えてみたい。

なぜ彼らは中学生、高校生になってくると、コロコロコミックから卒業してしまうのだろうか。

それは、ひとことで言えば年齢が上がるとともに彼らの「欲求や願望が変化したから」だと思う。

どういうことか。

小学生から中高生になる時の大きな変化として「異性に対する興味が増すこと」があげられる。

筆者のせまい経験則から言っても、クラスの中にカップルの姿がちらほら目立ち始めるたのは、中学生の頃からだったと記憶している。誰々が誰々に告ったとか、振られたとかね。

中高生になると、異性にたいして小学生だったときよりも興味が出てきて、自分の好きな相手と「もっと一緒にいたい」とか「もっとおしゃべりしたい」という欲求、あるいは「恥ずかしくて目も合わせられない」なんていう感情が表れたりする。

他にも、「憧れの先輩と付き合いたい」と思う人もいるだろう。

こんなふうに異性に対する興味が増してくるにともなって、人は、今述べたような新たな欲求や願望を持つようになる。

一方、コロコロコミック(通称:コロコロ)は、その特徴として、ラブコメなどの恋愛を主題とした作品を掲載しないことを、その方針としているらしく、

インタビューにて6代目編集長がこんなことを言っていた。
「女の子のことに興味が出てきた読者に合わせてラブコメなどを掲載することは読者年齢を引き上げてしまうことになりかねない。あくまでコロコロは小学生の集まる場所ということを大切にしたい」と。1
つまり、「恋愛」というテーマはコロコロの読者層の興味の中心ではないと考えてよいだろう。

ここまでの話をまとめてみよう。

小学生から中学生、高校生になるにつれて、人は「欲求や願望に変化が起こる」。

具体的には、
小学生から中学生になるときの大きな変化として「異性に対する興味が増すこと」があげられる。

異性に対する興味が増すにともなって「誰々と付き合いたい」などの欲求や願望を持つようになる。

しかし、コロコロコミックはあくまで小学生を対象としており、ラブコメなどは掲載しないというのを基本的な方針としている。そのため、そういった欲求や願望の変化に応えることはできない。

すると、「異性に対する興味」が湧いてきた読者は、おのずと少年ジャンプなどの対象年齢が少し上の漫画雑誌へと移行していくというわけだ。

そして、そこではラブコメはメジャーなジャンルであり、異性との交流における欲求や願望を読者に追体験させてくれる。

思春期における「異性に対する興味」。それはひとことで言うならば、いわば「恋愛」だ。
その「恋愛」における特有の高揚感、胸の高鳴り─。こういった感情を筆者は残念ながらリアルで味わったことはないのだが(自慢げに言うことか)、そんな人間であっても物語を通して追体験することはできる。

恋愛─。それは思春期真っ只中の中高生における一番の関心事。しかし、悲しいかな、誰でもそんな「恋愛」を経験できるとは限らない。

じめじめとした教室の隅っこで、ひたすら本を読み続け、終業チャイムと同時に家に直行する。そんな青春と名のつくものからおよそ縁遠い生活を余儀なくされる…そんな人間だっている。

だけど、たとえそんな惨めな学校生活を送っていたとしても、自分だって恋愛をしたい、青春を謳歌したいと思う。
そういった望みを叶えてくれるのが、「物語」であり、物語の持つ力だと筆者は考えている。

小学生から中学生になるにつれて、人は思春期に突入し、恋愛が重要な関心事となっていったように、その先の人生においても、ライフステージによって、人々の欲求や願望は変化していく。出世競争、結婚、家庭etc.
だから、それにともなって、コロコロコミックを卒業した少年が、ジャンプを読み始めるように、私達が求める物語の形も変化していくのだろう。

人々の欲求や願望は常に満たされるとは限らない。いやむしろ、叶わないことのほうが多いかもしれない。
もし、あのとき別の選択をしていたら人生は変わっていただろうかなんて考えることもあるだろう。

そんなリアルでは叶えることが難しいかもしれない、願いや望みを、漫画や小説などの物語は、読者に追体験させてくれ、あくまで擬似的にではあるけれど、願いや望みを叶えてくれる。思うようにいかない現実を物語によって折り合いをつけることだってできる。

最初に筆者はこう書いた。

なぜ人は物語を求めるのか、それは欲求や願望を満たすためであると。

その意味が少しでも伝わっただろうか。
伝わってくれていると嬉しい。

もちろん、私がここで述べたこのことは、あくまで物語の持つ力の一側面でしかないことは否定できない。

人々の欲求や望みや願いは、とどまることを知らない。これからも私達は物語を求め続けるのだろう。

脚注

  1. コロコロコミック歴代編集長インタビュー 第6回 .コロコロオンライン 2019-11 (参照:2024-05-09) ↩︎
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