5月28日。ラジオ『星野源のオールナイトニッポン』に、急きょガッキーも生出演。そこでは現在ちまたを騒がす、あの「うわさ」についての言及がなされた。

その後、この一連の炎上騒ぎは徐々に収束。というのが、今回の件のざっくりとした流れだ。

筆者は、この一連の流れを見て、こう思った。

音声メディアって

他のメディアと比べて、

今回みたいなシリアスな内容を伝えるのに最適なのでは?と。

どういうことか?

その理由は以下の2つだ。

情報を伝えるメディアには、大きく分けて、文章、映像、音声の3つがあるが、

1.文章のみだと、話し手の温度感や空気感が伝わりづらい

2.映像だと、人の泣き顔を面白がる輩が一定数いる

順番に詳しく見ていこう。

1.文章のみだと、話し手の温度感や空気感が伝わりづらい

まず今回の件を、もう一度おさらいしておくと、はじめに、星野源氏が不倫をしているのではとの噂が滝沢ガレソ氏のツイートをきっかけに広まり、星野源氏に誹謗中傷が集まる炎上騒ぎが起きる。

そして、この事態を受けて、5月28日、ラジオ番組『星野源のオールナイトニッポン』にて、夫婦そろって急きょ出演することとなり、ふたりの肉声により、今回の件は「完全なるデマ」との発表がなされたというものだ。

仮に、今回のような出来事があったとして、

その直後に、当事者本人のSNSにて
「そのような事実はいっさいありません。完全なるデマです」
といった内容の投稿が文章でなされたとしたらどうだろう。

熱心なファンならそれを疑うことはしないかもしれないけれど、
すくなくとも筆者の場合、

本当か?

と怪しむと思う。

なぜなら、文章だけ、特に140文字以内の短い文章となると、そこからは

いまいち、温度感が伝わってこないからだ。

つまり、感情がわからない。

投稿主が、その書き込みをどういう気持ちで行っているのかという、その感情や葛藤が、短い文章だけだと、どうも見えにくいのだ。表情が見えないと言い換えてもいい。

もちろん、文章であっても小説にみられるように、その心情をこと細かに伝えるということは不可能ではない。

例えば、小説では、音声がない代わりに「ドスのきいた声」のような描写を使って、読者にその音声の調子を想像させるということを行う。

だけど、そのように文章でこと細かに伝えようとすると、どうしても長くなってしまうというのがある。
そして、長くなると、困ったことに、読まれない…。

以上まとめると、
今回のようなことが起こったときに、
「そのような事実ないっさいありません」ということを、
SNSなどを通じて文章で伝えようとすると、以下のジレンマを抱えることになる。

・短い文章のみだと、温度感や空気感が伝わりづらい
・かといって、こと細かに伝えようとすると長くなってしまい、そもそも、ちゃんと読まれない

ラジオだと、上記の2つの問題点をクリアできる。

ラジオの音声となると、そこには内容の他に、声の調子、声色、息づかい、話の間、たどたどしくも言葉を選び当てはめていく感じ等の周辺情報が一気に加わり、短い文章のみだと伝わりづらかった細やかな感情の動きが、一段と臨場感とともに、わずかな短い時間の間にやってくる。

それに加えて、長い文章を読むのが苦手という人でも、音声が中心であるラジオならば大丈夫という人もいるだろう。

他には疲れていて長い文章は読む気がしないという場合でも、音声なら聞けるということもある。

このようにラジオとなると、生の声を聞くことにより、文章だと伝わりにくかった話し手の温度感や空気感、そして細やかな感情をコンパクトに伝えることができるのだ。

それでは、次に、シリアスな内容を伝えるのには音声メディアが最適だと思う理由の2つ目を見ていこう。

2.映像だと、人の泣き顔を面白がる輩が一定数いる

もし、今回の星野源とガッキーのラジオ生放送が、音声のみではなく、映像だったとしたら…?と想像してみてほしい。

人間は、つらかった出来事を話すとき、悲痛そうな表情をしたり、顔を歪めたりするものだ。

泣くというのは、そのもっともたる例だろう。

時々、そんな泣いている人のくしゃくしゃになった顔を見て、それを面白がって、茶化す人々がいる。

今回ラジオの中で星野源は泣いてこそいなかったが、それでも悲痛そうに、彼は普段は饒舌であると思われるのだが、たどたどしく話していたことから、語るときに顔を歪めていたであろうことが想像できる。

つまり、何が言いたいかというと、

今回のようなシリアスな話のときに、話し手が悲痛そうな面持ちをしていたとして、映像だと、その表情を見て面白がる人が一定数出てくると思われるのだ。
そうなると、途端に、表情に注意がとられて、話し手の話の内容が頭に入ってこなくなるといったことが起こりうる。

要するに、シリアスな話題の時には、話し手の表情といった視覚情報は、ノイズとなることがあるのだ。

この点、ラジオの場合、音声のみであることから、話し手の話の内容に、より集中しやすいという利点がある。

つまり、今回の星野源とガッキーのラジオ放送は、時としてノイズとなることのある、視覚情報が存在しないことが、プラスに働いている例だと言えると思う。

おわりに

以上、音声メディアであるラジオの、文章や映像と比較したときに見えてくる2つの利点について見てきた。

もう一度まとめておくと、

・ラジオは、文章のみだと伝わりづらい、話し手の温度感や空気感を伝えることができる
・でもそれだと、映像でも、話し手の雰囲気は伝わるのでは?
・しかし、映像だと、話し手の表情などが邪魔をして、話の内容がダイレクトに伝わらないことがある

結論
・よって消去法で、今回のようなシリアスな内容を伝えるときには、ラジオが最も適している

現代はインターネットの発達により、誰でも気軽に情報発信ができるようになった。

そして、その情報を伝える手段には、大きく分けて、文章、映像、音声の3種類のメディアがある。

何かを伝えるときには、それぞれのメディアが持つ特性を把握し、どのメディアを使うのがもっとも適しているのかを探ることは、案外見過ごされがちかもしれないが、重要な視点であると私は思う。

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