『ビスマルク:ドイツ帝国を築いた政治外交術(中公新書) | 飯田洋介』という本を読みました。

 

この本は、ビスマルクの評伝(人物に対する批評と伝記を合わせたもの)です。

 

新書ということもあり、高校の世界史レベルの知識さえあれば読みやすい本だと思います。

 

本記事ではこの本を読んで、印象に残った点を感想をまじえつつ紹介していこうと思います。

ビスマルクは対象的な両親のもとに生まれた

ビスマルクの父は温厚で人のよい性格をした人物で、職業はユンカーと呼ばれる地主貴族でした。

 

一方で母は、美しい女性で頭脳明晰でありましたが、神経質で見栄っ張りで、あまり家庭的な女性とはいえなかったようです。
彼女は、代々学者を輩出する家の出身で、「官僚の世界」で育ちました。

 

こういった対照的な両親のもとで育ったことはビスマルクの人格形成に多大かつ深刻な影響を与えたと本書にあります。

破天荒な大学生時代

以下は大学時代のビスマルクの様子を表したものです。

大きな愛犬を従えては奇抜な服装で街を闊歩し、居酒屋で酒を呷り、借金を抱え、決闘や喧嘩に明け暮れるといった振舞いから、ゲッティンゲンでは名物学生の一人に数えられていた。

 

引用:飯田洋介『ビスマルク:ドイツ帝国を築いた政治外交術』(中公新書) p11

 

ゲッティンゲンとはビスマルクが当時通っていたゲッティンゲン大学のことです。

 

ビスマルクの親友であり、同じ大学に通っていたジョン・L・モトリーが『モートンの希望』というタイトルで、当時のビスマルクをモデルとした小説を書いています。

 

いつか機会があれば読んでみたいと思いました。

ビスマルクは『鉄血宰相』によって窮地に陥った

ビスマルクと聞いて多くの人がまず思い浮かべるのは「鉄血宰相」という異名だと思います。

 

しかし、この「鉄血宰相」によってビスマルクは窮地に立たされることになったと聞いたら驚かれる方も多いのではないでしょうか。

 

事の経緯はこうです。

 

この「鉄血宰相」という呼び名は彼が宰相に就任した直後に行った演説の内容に由来します。

 

以下演説の一部を引用します。

 

現下の大問題が決せられるのは、演説や多数決によってではなく____これこそが一八四八年と一八四九年の大きな誤りでした____鉄と血によってなのであります。

 

引用:飯田洋介『ビスマルク:ドイツ帝国を築いた政治外交術』(中公新書)p96

 

そもそもビスマルクが宰相に就任することになった背景として、当時のプロイセン皇帝ヴィルヘルム1世と議会(プロイセン下院)の自由主義派の対立がありました。

 

議会との対立が袋小路に陥ったヴィルヘルム1世は、この窮地をなんとか打開するためにビスマルクを宰相に任命して、彼にすべてを任せる決心をしたのです。

 

そして、ビスマルクは議会で先程の演説を行ったのですが、彼が演説で主張したかったのは対立している自由主義派に妥協の用意があるということを示すことでした。

 

しかし、この「鉄と血によって」という印象的なフレーズが独り歩きし、世間を騒がせることになりました。
このフレーズは多くの人々に暴力的な支配を連想させたのです。

 

こうしてビスマルクは思わぬ形で、政権の座についた直後に苦境に陥ってしまいます。

さいごに

この本の前半部分までは、割と伝記色が強く面白く読めたのですが、ビスマルクが宰相に就任してからの中盤から後半にかけては政治の話が多くなり正直退屈でした。ですが、改めて振り返ってみると面白かった部分も多々あり読んでよかったと思えた本でした(読後感は良かったです)。

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